-我が家に鬚がやってきた-


関羽が、劉備の居所を知るまでの一時だけとの約束で曹操軍に降った。

実際は劉備の妻子を盾に取り、尚且つ関羽の旧知の張遼を説得にやるといった手の混
んだ 裏工作があったのだが…それもこれも夏侯惇にはどうでもいい事だった。

曹操のだらしのない顔を見ていると苛々が募る。
苛々するからつい顎鬚を撫でる手も荒っぽくなってしまう。
関羽を前々から欲していたのは知っていたが、その顔はないだろう?そう言ってやりたい
程に曹操はだらしなく顔を緩めていた。


「孟徳っ、他の将の忠誠心に影響がでてはかなわん。その緩みきった顔をなんとかしろ」
「惇、無理な話は聞かん」


視線を寄越しもせず即答する曹操に夏侯惇は舌打ちした。

「孟徳っ!」

声を潜めつつ叱責するも、曹操は鍛錬場で徐晃たちに囲まれている関羽を眺めたままウ
ットリと溜め息まで漏らす始末だ。

「絶世の美女だというならばまだしも、髭野郎相手にウットリするなっ」

苛々が頂点に達し、声を荒げる夏侯惇に曹操は漸く目線だけを寄越す。
その瞳にからかうような色が浮かんでいたことを、拳を握りしめ怒りに震える夏侯惇は気
づかない。

「惇よ、関羽のあの全身から発する武人としての気を感じても何も感ずるものが無いと言
うのか?」
「そりゃぁ確かに手合わ…っ、否!何も感じんわっ!!」
「そのように怒鳴らなくとも聞こえておる」


ついつい武人としての血が騒ぎ手合わせしてみたいだのと口に出しそうになって夏侯惇
は 慌てて否定する。
それを見越していたかのように肩を竦めると曹操は馬鹿にしたような顔して見せる。

「しかし、何も感じないと言うか?惇、お主不感症か?」
「んなわけがあるかっ!」

からかうようなその言葉に顔を朱に染め夏侯惇が怒鳴った。
いつもいつもこの手のカマ掛けに引っかかっている事は自分でも痛いくらいわかっていた。
だが、どうしても性格上受け流すことが出来ない。

三つ子の魂百まで

と、言ったところだろうか。
勿論、曹操にとっても夏侯惇のそんな性格は昔からお見通しで、言いくるめる度に引っか
かる夏侯惇が、自分の事を『孟徳従兄』と呼び後ろをついて歩いていた幼い頃から変わら
な い事も全てバレバレなのだった。

「そうよな、不感症どころか至極敏感な体をしておるからな」

裏の意味を匂わせ言われた言葉に夏侯惇は慌てて辺りを伺い、人がいないことに安堵す
る。
その顔が真っ赤なのは言うまでもない。
そんな夏侯惇のいつまでたっても初な所が曹操はいたく気に入っていた。
そのせいで日々からかわれているなどと、当の夏侯惇はわかっていない。
一旦戦に赴けば、戦局を見極める目は流石歴戦の猛将と言ったところだが、こと自分の事
に対しての鈍さときたら呆れる程なのだ。

「しかし…我が軍を代表する将のお主がそれでは、せっかく降らせた関羽も居心地が悪か
ろう」
「居心地悪けりゃさっさと出ていけばいい、曹操軍はあんな髭などいなくとも最強だ」

ふんっと口を尖らせそっぽ向くその姿を、曹操は内心微笑ましく思っていたが、そんな事
おくびにも出さず困った様に深く息を吐き出す。
そしてわざとらしく悲しそうな表情を作って夏侯惇を見上げる。

「惇…どうにか関羽と仲良くしてくれんかのぅ、せめて関羽が我が軍にいる間くらいでい
いのだ」
「う…」

いつもは尊大な態度の曹操に、急に下手に出られ夏侯惇は言葉に詰まる。
普段、従兄弟同士と言うこともあって気安く接すことを許されてはいるが、主従関係には
変わりはないのだ。
幼い頃から、目の前の小柄な従兄の才を目の当たりにし、自分自身で担ぎ付き従うと決め
たのだ、その従兄に逆に気を使われてどうする!
夏侯惇は一瞬下唇を噛むと忌々しさを押し殺す様に低く告げた。

「わかった…努力しよう…」

やっとの事で口にしたその台詞に力なく肩を落とす夏侯惇をよそに、曹操はにやりといた
づらそうな笑みを浮かべる。

「そうか、わかってくれたか。ならば惇!関羽と親交を深める為、暫くの間関羽をお主の
屋敷に泊めるとしよう」

「………はぁっ!?」

あまりの内容に思わず反応が遅れた。
よりによって、寄れば触れば威嚇ともとれる睨みをきかせ、暴言を投げかけている張本人
の屋敷に関羽を住まわせるというのだ。
夏侯惇でなくとも耳を疑っただろう。
そんな事をして、もし、夏侯惇と関羽が斬り合いにでもなったらどうする!?とこの場に
まともな人間がいたならば、曹操の暴走を止めていたに違いない。
しかし、幸か不幸か今現在この場には夏侯惇と曹操しかいない。
夏侯惇に曹操が止められるわけも無く、呆然と口を開けたまま固まっているうちにあれよ
あれよと話は纏まってしまった。


曹操が人を呼び、その旨を伝え関羽が夏侯惇の屋敷に滞在する準備が始まっても、夏侯惇
はその場に一人固まったままだった…







次の日



空は目に痛いくらいに青く、厚みをもった真っ白な雲がところどころ浮かんでいた。
からっとした気温に木陰で昼寝をするにはもってこいだろう。

そんな最高の天気も、この屋敷の主にとって今日だけは忌々しいものに思えた。
いっそ大きな台風でも来て引越しなど出来なければいい。
そう思って空を睨みつけても、相変わらず庭では順調に荷を運ぶ下働きの人間がワイワイと騒
いでる。


「夏侯惇殿」


不意に声をかけられたが、振り返りたくもない。
声だけで顔を不快に歪め、夏侯惇は曹操と約束した手前しぶしぶと振り返り挨拶を交わし
た。


「これは、関羽殿…よくぞ参られた。なにもない屋敷だが、御自分の家と思ってお寛ぎく
だされ」


ヒクヒクと引きつる顔を懸命に笑みに変え、夏侯惇は関羽に対して使ったことなどない丁寧な
言葉で告げる。
関羽はそんな夏侯惇にキョトンとし、その後すぐに胸まで垂れ下がる艶やかな鬚を撫で満足そ
うに笑った。



こうして、関羽と夏侯惇の奇妙な同居生活が始まったのだった。








関羽ほとんど出てきてないし(笑)
羽惇シリーズ化計画^^

関羽にからかいつくされる夏侯惇が書けたらいいなって思ってます
きちんと続けられれば拍手喝采(ダメポ)