-我が家に鬚がやってきた2-


「元譲様、朝食の用意が整いました」
「ん………ぅー…」

家人の声に眠い目を擦る。
実は、朝の弱い夏侯惇は、家人に数度声をかけられるまでいつも起きれずにいる。
今日も例外ではなく、本日何度目かの声に漸く寝ぼけた頭を無理矢理覚醒させた。
いつでもすぐ付けられるようにと枕元に置いておく眼帯に手を伸ばし、取り合えず簡単に左目の傷を隠す。
不器用な夏侯惇は、自分では上手く眼帯を付けられない。
それでも寝起きにすぐ隠すのは、自分が傷を武人の恥だと思っている事もあるが、半分は家人が傷を見て怖が
らないようにという夏侯惇なりの配慮なのだろう。
瞼を縦に走る鏃の傷は、見た者とて気分のいいものじゃないだろうと…

「元譲様・・起きられましたか?」
「あぁ、起きた…今行く」

寝所の外からかけられる声に返事を返し、欠伸をしながら寝台から降り、平服を身に纏うとよたよたしながら
食事をしに向かう。
香しい朝餉の匂いに鼻をクンクンさせると、現金な体は途端空腹を訴えだした。
グ〜と鳴る胃を摩りながら、食事が用意されている部屋へ足を踏み入れる。
いつもの様に、半開きの目を必死に開けようと悪戦苦闘だった。

「早好上、夏侯惇殿」

突如かけられた声に、夏侯惇は意識がハッキリしていくのと同時にに不機嫌になっていく。
昨日の事は悪夢だとでも言って終わらせたかったが、確かに今目の前には、朝食を取る為に卓につく顎鬚を腹
まで伸ばした大柄の男がいた。

「か‥関羽殿…お早いですな」

引きつりそうになる顔をどうにか堪えようと、奥歯を噛み締めた為、歪んだ笑みを向ける。

「拙者、朝は得意なので一刻(二時間)は前から起きていましたぞ、庭を探索して参りましたしな」
「そうでござったか‥俺…私は少々朝は不得意でして」

いつもの様に顎鬚を手で梳きながらにこやかに答える関羽に、夏侯惇は舌を噛みそうになりながら言葉を続け
る。
無理にでも会話をしないと、いつ罵詈雑言を投げつけるかわからないからだ。

「時に、夏侯惇殿……」
「は?なんですかな?」

思わせぶりに、言葉を切る関羽に夏侯惇は何を言われるのだろうと眉を寄せる。
何も不備はないはず。曹操に言われた通り関羽とは仲良くしている。

…………至極嫌々だが

眉間に皺を寄せたまま関羽の言葉を待つ夏侯惇に、告げるか告げないか迷ったような素振りを見せていた関羽
が口を開いた。

「寝癖がついておりますぞ」

笑いを堪えるように口元を拳で隠しながら言う関羽に夏侯惇は慌てて手で髪を整える。
しかし、銅鏡に姿を写して見たわけでもなく、見当違いの場所を一生懸命に撫で付けていた。
見かねた関羽が席を立ち、直してやろうと手を伸ばすと夏侯惇はもの凄い勢いで一歩後ろへ下がる。
下がってからしまったと顔を強張らせるのが関羽にもわかった。
曹操の命令でなんとか仲良くしているつもりでも、所詮つもりはつもり。
一瞬の出来事につい『寄るな』と、本音の行動が出たというとこだった。
途端、関羽の目が据わる。
それは、怒ったというよりも面白くないといった表情だったが、曹操の言いつけを守れず関羽の機嫌を損ねた
などと知れたら、何を言われるかわかったもんじゃないと、夏侯惇はそれだけで頭が一杯だった。
その為、表情を読み取るなどという余裕はまったく無く。
ただただ関羽が気を悪くし、曹操にそれがバレやしないかと、脳内は慌てふためいていた。

「…夏侯惇殿は余程拙者がお嫌いらしい」
「そっ…そんなことはない…」

…ぃゃ…あるけど

本音と建て前を分けるなどと器用な事が夏侯惇に出来るわけもなく、いかん!と思いつつも目は泳ぐ。
否定の言葉を発しつつも肯定している様なものだった。

「嫌われているのに、図々しく滞在するのは気が引ける。曹操殿に言って、やはり義姉上の側に戻していただ
く」

冗談じゃない!

そんな事になったら、そら見たことかとここぞとばかりにからかわれるのが落ちだ。
夏侯惇は慌て、関羽の裾を掴んだ。

「気分を害したならば謝る!…さっきは…その‥そうだ!驚いただけだ!だからっ、是非我が家にいてくれ!」

引き止めようと必死に言い訳する夏侯惇をジィと見る。
関羽はニヤリとほくそ笑んだ。

「ならば、今暫くお世話になるとしよう。しかし、ただ宿をお借りするのは心苦しい‥夏侯惇殿は朝が弱いと
いう事でしたな、ならば明日より拙者が起こして差し上げよう」
「ぁあっ!?断っ…じゃなかった…そんな事を客人にさせるわけにいかん、その様な気遣いは無用だ…ですぞ‥」

最早言葉使いなどしっちゃかめっちゃかで、関羽は吹き出しそうになるのを必死で堪え、困った様な表情を作
る。

「それでは拙者の気が済まぬ、滞在させていただく礼故、気になさるな。なに、先ほど言った通り拙者朝は得
意、明日より朝は安心しておられよ」

そう一方的に喋り、有無を言わさず決定されてしまった。




朝のことを考え、眠るものかと思っても、一日中執務や調練でクタクタになった体は、どれ程拒もうが気持ちを裏
切って休息を求める。

「…くはぁ……っ、眠らんっ!髭野郎に起こされるなどたまったもんじゃない」

何度目かの欠伸をし、その度に頭を振り眠るものかと意識を保とうとするのだが、結局また瞼は重力に敗走とばか
りに視界を狭める。

「明日は…あいつより早く起き………」

限界は、夏侯惇の悪あがきを笑うかの様に訪れる。
とうとう夏侯惇は寝台に倒れ込むようにして眠ってしまった。
誰にでも平等に時は流れ、そして朝がくる。
いくら来てほしくなくとも、時の流れを止めることなど出来ないのが現実で
夏侯惇は、相変わらず朝日が昇り室内を明るく照らし始めていても、一向に起きる気配無く眠っていた。
いや、関羽に起こされるのなど冗談じゃないと夜遅くまで頑張っていた分、今朝はいつもより深く寝入っていたの
だ。

本末転倒である。

そこへ、昨日の約束…かなり一方的ではあったが、しっかりと交わした約束を守る為、関羽が夏侯惇の寝所の前に
現れた。
起きているわけがないとわかっていながらも念の為声をかける。
しかし、やはり部屋の主から返事があるわけもなく、関羽は肩を揺らし悪戯そうに笑っ た。

「入りますぞ、夏侯惇殿」

未だ夢の中の夏侯惇に聞こえるわけがないのはわかっていたが、形式だけの言葉をかけ、関羽は寝所の戸を開
けた。
中からは豪快に鼾が聞こえる。
関羽はまた笑った。
寝台に足を進めると、なんと寝相の悪いことか…夏侯惇は帯で申し訳程度に夜着を身につけているだけで、ほぼ半
裸だった。

「ククッ…これは目の毒」

肩を竦ませる関羽をよそに、夏侯惇はまったく関羽に気づかず、時折開いた夜着の合わせに手を突っ込み、胸など
をボリボリと掻いたりしている。

「やれやれ…まるで大きな子供だな」

笑いを堪えながら、関羽は起きる様子のない夏侯惇を軽く揺すった。

「ぅー…ん……まだ……あと…少し…」

にも関わらず、揺すられる手に嫌々するように、夏侯惇はもぞもぞと寝返りを打ってしまった。

「夏侯惇殿…夏侯惇殿、起きられよ、朝ですぞ………まさか、ここまで寝起きが悪いとは…家人の言っていた通り、
一筋縄ではいかんようだ」

逃げる体を追うように手を伸ばし、体を揺すると、夏侯惇は眉間に皺を寄せ関羽の腕を一瞬で抱えてしまった。
関羽の腕をしっかり抱え、揺らされなくなった事に機嫌を良くしたように幸せそうに惰眠を貪る。

「普段からは想像もつかぬ愛らしさ…猛将と名高い夏侯惇将軍の実体がこれとは」

腕を抱えられたまま、関羽は楽しそうだった。
だが、このまま夏侯惇の寝顔を愛らしいなどと感じ拝み続けているわけにもいかず、空いた手で鼻を摘んでみた。

「………………っはぁ…はぁ…はぁ」

一間おいて苦しさから口を大きく開け酸素を取り込む姿につい吹き出しそうになり、耐えた。
つい、そうしたい欲求にかられ、徐にその唇に己のそれを重ねてみる。
舌を差し込み、中をくすぐるようにするとピクリと体が僅かに跳ねた。

「んっ…も‥徳…ゃ…」

寝ぼけたまま口にする曹操の字に、関羽は眉を引き上げる。が、クスリと笑い耳元に顔を寄せ囁いた。

「曹操殿ではありませんぞ?夏侯惇殿」

夏侯惇は途端跳ね起き、目をパチクリさせる。

「かかかか‥関羽っ!!」
「早上好、夏侯惇殿‥お目覚めは如何ですかな?」

悪戯をして満足そうに笑う関羽をよそに、夏侯惇は怒りにブルブルと拳を震わせた。

「なかなかに愛らしい寝姿であった」
「き‥貴様っ‥さっさと出ていけーーーーーっ」



早朝の夏侯家に、主の怒声と関羽の楽しそうな笑い声が響いていた……








鬚シリーズ(?)第二弾?
なんか意味わからんとです…(笑)
なんつぅ武将だ夏侯惇(笑)いや、きっと惇も有事にはきちんと起きれるんですよ……多分(汗)
懲りずに毎日こうやって起こされてくれたらいいな…