-傍ら-
反董卓連合軍の戦いは、散々な結果に終わった。
最初から足の引っ張り合いで始まった連合は、その歯車が噛み合う事なく解散しようとしていた。
足並みを揃える事の出来なかった諸侯らが攻め倦ねている間に、洛陽は火の海になったのだ。
董卓が行った蛮行は、漢の歴史が始まって四百年近くもの間、誰も考えもしなかっただろう。
都は焼き討ちされ、民は惨殺された。
無理矢理に遷都を強いられた天子は、今頃長安への道のりを車に揺られて、何を思っているのか…
唖然としている諸侯らを前にして、曹操が、今ならまだ間に合う、追撃せよと騒ぎだした。
が、袁紹は応えようとはしなかった。
その理由には、言い出したのが曹操だったから、というのもあっただろう。
曹操の提案に応えなかったのは袁紹だけではなかった、袁術や陶謙…皆、応えようとはしなかったのだ。
だいたいが、負け戦に兵を消耗したくないというのが理由。
誰もが群雄割拠の時代が来ることを予感していたのだ。
「諸侯らは好きにするがいいっ!儂はたとえ我が軍だけでも董卓を追撃する…諸侯らには落胆したわ」
追撃しようとせず、曖昧な表情を浮かべる諸侯らに痺れを切らせ、曹操は全軍で追撃することを諦めた。
捨て台詞を吐き、侮蔑の眼差しで諸侯らの顔をゆっくり見渡す。
「待てっ!曹操…追撃は許可できぬぞ!」
天幕を出て自分の陣へ帰ろうとする曹操の腕を掴む。袁紹は必死になって止めた。
連合の盟主だとかそんな理由ではなかった。
誰がどう見ても、この追撃に分はなかった。
死にに行くようなものだと思った。
董卓にはまだ呂布もいた事も理由だが、それだけでなく。呂布の強烈さに普段影が薄くなりがちだが、他将だとて強者揃いなのだ。
兵の消耗の少ないうちに洛陽を捨てただけあって、董卓はまだ余力十分だ。
そんな所へ……元譲を行かせるわけにはいかない!
袁紹は焦った。
まさか、曹操が追撃するなどと言い出すとは…
「許可とな?許可などいらん、我らはこれより連合軍より離反する…諸侯らと志を同じくするのは無理だとわかったからな…では、失礼する」
嘲笑するかの笑いを浮かべ、天幕を出ていく曹操を、慌てて追った。
行くならば勝手に行くがいい!
だが…元譲だけは行かせない!
袁紹はそう言って、曹操の肩を掴んだ。
曹操の眉が、不快そうに歪められる。
「元譲は行かせない?夏侯惇は儂の配下、貴侯にそのようなことを言われる筋合いはない」
「元譲が死んでもよいのかっ!」
袁紹が必死になればなる程、曹操の瞳は氷のような冷たさを帯びる。
まるで興味がないとでも言うように。
「本初よ、本当に元譲が死ぬと思っているのか?だとすれば、お主は元譲を見くびっている」
「っ…見くびってなど!」
「あまり元譲を侮辱するな」
そう言って、怒りを露にする曹操に驚き、袁紹は息を飲んだ。
侮辱…?
確かに、元譲はあの頃の小さかった元譲とは違う。
だが、いくら外見が変わろうと、袁紹には夏侯惇は特別な存在に変わりはなかった。
失う事など耐えられぬほどに…
やっと再会できたと思ったら曹操の部下として、副官の場所に位置していた。
本当は自分の副官として呼び寄せ、大事に大事に将へと育てていくつもりだった。
それが…こんな無謀としか言えないような追撃に、参加することを止められもしないとは。
それもこれも、曹操のせい…
袁紹は、陣に帰って行く曹操の背を睨んだ。
「絶対に元譲は渡しはしない…」
苦々しく呟く言葉は、追撃に立つ兵の馬足にかき消される。
目の前を、馬に跨った曹操が過ぎていった。
そして…
その後から、夏侯惇が現れた。
「っ…元譲っ!」
曹操の下にいる今、元譲を引き留めることなど不可能とわかりつつ、思わず声をかける。
声に気づいた夏侯惇は、馬首を切り替えし、袁紹の側に戻り下馬をし、片膝をついて軍礼の形を取った。
なんと凛々しくなったのだろう、あんなに小さかった元譲が…
あぁ…無くしたくない
「元譲…いくな…死にに行くようなものではないかっ!」
その声は、まるで悲鳴のようだった。
今の自分は、きっとみっともない顔をしているだろうと、袁紹にも充分わかっている。
元譲が、命をかけてもいいと思ったら配下になると言った言葉を信じ、誰にも負けない、優れた人間になろうと努力してきた…
だが、もう別れはたくさんだ!
なりふり構う余裕などなかった。
夏侯惇の瞳が驚いたように丸くなる。
そして、破顔した…
まるで、袁紹の心配など無意味なのだとでもいうように。
「袁紹殿…」
辺りを見渡し、コホンと咳払いをする。
「本初、俺は死なない。心配しなくても大丈夫だ…これでも俺は強くなったんだぞ」
昔と変わらぬ笑み…
「それにな…ここで追撃すれば、董卓を討とうが、討てなかろうが、孟徳に一番必要なものが手に入るんだ。俺は行く」
そして、一人前の男の顔をした。
愛しい者を見るように、先に駈けていった曹操の背を見つめる。
…もう、選んだのだな、元譲は…己が命をかけるに足る男を…
理解すれば、途端胸を締め付ける焦燥感。
「元譲、決めたのだな…?」
全てをかけて尽くす男を…
「あぁ、俺は追撃に行く。いくら本初が止めても」
問いは通じてはいなかった、だがそれでいい。
元譲の口から聞きたくはない。
欲しくてたまらないこの男は、自分以外の男を既に選んでしまっているのだ。
ならば、今は止めることなど不可能。
「元譲、死ぬな。絶対にだ」
死ぬなと告げれば、神妙な顔になり、力強く頷く。
「本初、行ってくる!」
馬に跨ると、夏侯惇は馬体を蹴り、駈けだした。
追撃に向かう軍勢に合流し、先頭に馬を寄せると、振り返った曹操と頷き合う。
袁紹は、軍勢に背を向けた。
今はいい。
生きてさえいてくれれば…
曹操を殺し。
元譲を我が傍らに取り戻せばいい。
続く
2006.3.31
一年以上放置していた「傍ら」続き気になっていた人がいたら、すみませんッ!
いや…ラストの話をしたら、ある方に「ぜってぇ袁紹はそんな奴じゃねぇよ」言われ、どうしようと思ってるうちに、書く気が失せていたという(爆笑)
ほんっと、すみません!