-偏頭痛-





兆しはあった。

いつも頭痛の前は頭の中がピキピキと音を立ていてるように感じ、その後に必ず起こる吐き気を催す程の頭の痛みに悩まされる。

頭痛を遠ざけたいならば、武力でもってこの世を平定することを諦め、詩でも読みつつ穏やかに暮らしなさい
と華佗は言うが、進み出した覇道を今更降りる事など出来ぬ現実に嫌気がさす。

まぁもっとも、止めようなどという思いは塵程も無いのだが。

だいたい、あの華佗という男は好きになれなかった。
医の実力は認めるが、儂がどれ程頭痛に苦しもうが、色々理由をつけては勿体ぶって針を打とうとはしない。

いっそ斬り殺すと脅してやろうか… だが、一度頭痛が始まれば、死をも意識させる程の痛みにそんな強気さえも投げ出したくなるのだ。

そして今も、頭の割れる様な痛みに襲われている。

昨日、執務中に兆しはあったのだ。

寝所に呼んでいた女に頭を揉ませるが、一向に良くなる事もなく。
それどころか、普段愛してやまない白粉をたたいたかの如く白くたおやかな手が不快にさえ感じる。


「もう、よい…下がれ」


そう言って睨みつければ、殺されるとでも思ったのか、女は顔面を蒼白にし転がる様に室を出ていった。
今ならば寵姫さえ一刀の元斬り捨てても惜しいとさえ思わないだろう。

それ程に苛立っていた。


「ぐぅ……」


あまりの痛みに吐き気を伴い喉奥から胃液がせり上がる、その感覚によりくる全身が総毛立つ寒気。

目を開けている事さえ困難で、瞼をさす灯りから逃げるかの様に寝台にうずくまった。



痛い…痛い…痛い…



歯を食いしばり無様に叫びそうになる悲鳴を押し留める。

いっそ殺してくれとさえ思った。

いったい儂がなにをした。


「丞相、いかがなされましたっ?」


部屋から漏れ聞こえる苦悶の声に、心配した臣が声をかけてきた。
今はそれさえも煩わしい。


「なんでもないわっ!!」


怒気を露わに怒鳴りつけると、バタバタと室から遠のく足音が聞こえた。


煩い…煩い…煩い…


痛い…痛い…痛い…


意識が遠のく、気を失えば少なくとも痛みに悶えることはない…

幾らかでも眠れば痛みは和らぐのだ。

突如、ふわりと頭を撫でる暖かな手。


「ぅ……っ…」


声をかけずにその人物を見る。
確認などしなくとも、曹 孟徳の寝所に許しなく入れる人間など、この世に一人しかいないのだが…



惇……



いつ室に来たのか、夏侯惇が穏やかな笑みを浮かべ、儂の頭を撫でていた。


「…………夏侯惇…」
「お疲れのようですね…」


いつも穏やかに微笑む男だ。
しかし、今日は穏やかな笑みの中に、まるで自分の痛みの様に辛そうな表情が混じっていた。


「夏侯惇…そのような顔をするな…大事無い…」
「わが殿は嘘が巧いので困ります…」


そう言って目を細めた夏侯惇を寝台に引きずり上げ、抱きしめる。


「お前に嘘などは吐かん…」


抱き返す様に背に回された腕が心地よかった。


「こうしていれば、痛みは安らぐ…」


確かに夏侯惇の顔を見てから吐き出しそうな程の痛みは薄れていた。


この男程に不思議な力を持つ人間は会ったことがない…

ただただ、傍にあるだけで安らぐ…

そろそろ覚悟を決め、惚れていると認めねばならんようだ…

この儂の初恋がお前だと言ったら、いったいどんな顔をするだろうな…


変わらず静かに微笑む姿を想像し、思わず苦笑が漏れる。

それを見た夏侯惇に安心した顔で微笑まれ、胸の奥で何かがゆっくりと溶けていく感覚に包まれる。

目を閉じたままその感覚に身を任せた。

次に目を覚ます時には頭痛はすっかり治っていることだろう…


「お休みなさいませ…わが殿…」


夏侯惇の声を子守歌に、儂は眠りの淵へと落ちていった。









2006.04.10再録